「アヒムサ」で真に目覚める

 私たち日本人の根底にあるのは、八百万の神(やおよろずのかみ)の思想です。
 私たちには、生まれながらにして霊性が備わっているのです。
 その力を封印するために、私たちは、東洋の哲学(智慧)から遠ざけられてきました。
 そして、「ヒムサ思想(近代西欧哲学)」を刷り込まれてきたのです。
 「ヒムサ」とは、直訳すると殺生という意味です。
 つまり、「対立の抹消によって進歩発展が図れるとする」考え方です。

 私たちは、教科書を信じ、知識を詰め込むことに励んできました。
 そして、画一的な価値観を植え付けられ、無意味に競争させられてきました。
 体育は、スポーツに変わり、勝敗のみが重視されるようになりました。
 武道の精神性や身体法則は、ないがしろにされてきました。
 テレビでは、ヒーローが活躍するドラマ(勧善懲悪のストーリー)に魅了され、流行りに踊らされてきました。

 教育で思考力は奪われ、スポーツで身体の筋平衡を崩され、弱体化させられました。
 自らの利益を最優先に考える個人主義を植え付けられました。
 そして、日本人は、骨抜きにされ、団結できない民族に仕立て上げられました。

 ロボットと化した私たちは、それに何の疑問も持つことはできませんでした。
 そして、経済成長という言葉に踊らされ、物質文明の建設に励んできました。
 私たちは、高度な技術力をもとに、理想の社会を実現できると思っていました。
 でも、それは、見かけ倒しの砂上の楼閣だったわけです。

 そして、今、近代西欧文明は、崩壊の憂き目にあるのです。
 それは、客観的な運動法則である「カム」の意思(弁証法的法則)に背いた結果でした。
 (前章で見てきたように)
 これから、今まで常識とされてきた唯物的な世界観は、覆ることになります。
 そして、新文明建設に向けての道のりが始まります。

 人類史の方向性を決める支配的要素は、圧倒的多数の民衆です。
 その民衆の意識が変わらない限り、人類史の流れは変わりません。
 たとえ、ヒーローが現れて悪を退治したとしても、それでは対症療法にしかなりません。
 つまり、私たち一人ひとりが責務をはたしていかなければならないのです。
 そのためには、私たちは、霊性を取り戻し、形式(観念)の世界から脱却しなければなりません。

 私たちは、「ヒムサ思想」によって、霊性が封印されてきました。
 (ヒムサ=殺生)
 その封印を解くカギは、「アヒムサ思想(アヒムサ弁証法)」にあるのです。
 (ア=否定語、ヒムサ=殺生)
 私たちは、「アヒムサ思想」を体得することで、真に目覚めることができるのです。

 「アヒムサ思想(インドの思惟)」は、インダス文明からアーリア文明へ移行し、ベーダやウパニシャッドを通して示されてきました。
 それが、釈迦や龍樹を経て、結晶したのが、マハトマガンディーのサチャグラハでした。
 マハトマガンディーは、インドの独立と発展を目指して、生涯をかけてサチャグラハの実践・指導を行ってきました。
 (1869年に生まれ、1948年1月30日凶弾に倒れる)

 英国は、人種や宗教、地域などを意図的に分断し、互いに争わせることでインドを長期的に統治していました。
 マハトマガンディーは、1914年、第一次大戦後、インドの独立運動(反英運動)を主宰しました。
 その際の手段として、「アヒムサ(アヒンサー)」を採用したのでした。

 「アヒムサ」というのは、サンスクリット語で「博愛」を意味します。
 直訳では「不殺生」という意味になります。
 もとは、「いのち」の光り輝く「すがた」を表した言葉です。
 この「アヒムサ」の力を、実践によって証明したのが、マハトマガンディー(サチャグラハ運動)でした。

 マハトマガンディーは、「ガーンディー聖書」で次のように説いています。

 真理(Satya)なる言葉はサット(sat)から来たのである。
 サットは、存在更に実在を意味する。
 そもそも物の本質を究明すれば、世の中には何物も存在しないのである。
 存在するのはただ真理だけである。
 しかして我々は唯一神の存在を認めるのであるから、結局sat即ち真理は最も重要なる神の別名である。更に進んで、「神は真理である」というよりも、「真理が神である」というのが一層正しいのである。
 (中略)
 真理が人間活動の中心であり、生命である。
 修行者がこの信仰に達すれぱ、何ら努力せずして、自然に人生上一切の規範を見出し、且つこれに従うものである。
 真理を解せずば、いかなる原則も規範も認識出来ないのである。

 マハトマガンディーは、真理こそが人間活動の中心であり、それを理解しない限り、いかなる原則をも認識できないとしています。
 そして、「(あなたが信じる)神は真理である」というよりも、「(あなたが目指す)真理が神(という名)である」というのが一層正しいのである...
 と説いているのです。<()は加筆>
 それによって、イスラム、ヒンドゥー教、シク教などの間に橋を架け、調和をはかり、真理を証(あかし)したのでした。

 マハトマガンディーは、真理との共振によって偉大な実践力を獲得しました。
 それが、全インドの民衆に共振していきました。
 民衆が、真理を自己に具現化することによって、権力に屈することなく、非暴力・不服従を貫いたのです。
 そして、拳銃の弾(たま)一発も撃つことなしに、インドを英国の支配から解放し独立に導いたのでした。
 マハトマガンディーは、
 「アヒムサは、人間の持つ最も強い力であるが、この力は、想像もできないほど目立たないものである」と言っています。

 それは、特殊な力ではなく、誰もが持つ普遍的な力です。
 特殊な訓練によって得られるのではなく、普遍性の追求によって得られるものです。
 いわば、それは、「他力本願」による力です。
 努力によって成し遂げよう(ねばならない)という偽善の力ではありません。
 せずばおれないという「いのち」からにじみ出す力です。
 ここでは、その力について考察していくことにしましょう。