スペイン風邪の真実

スペイン風邪とは

 スペイン風邪は、今からおよそ100年前(1918年2月~1920年4月)に流行したインフルエンザです。
 (実は、インフルエンザではなかったのですが真相は後述します)
 世界で5億人が感染し、5000万人以上が亡くなったと言われています。
 流行当初(1918年5月頃)の死亡率は、前年の季節性インフルエンザより低いくらいでした。(第1波)
 その後(9・10月頃)、多くの犠牲者を出しました。(第2波)
 特異だったのは、米軍の若い兵士(25~29歳)が、たくさん亡くなったことでした。
 また、致死率は、2.1%~10%と、駐屯地によっても大きな差がありました。

なぜ、重症化したの?

 当時は、アスピリンの製造特許が切れた時期(1917年)と重なりました。
 そして、多くの製薬会社がアスピリンの製造に群がっていました。
 それに乗っかって、公衆衛生局長官がアスピリンの使用を推奨しました。
 (1918年9月13日)
 その後、アメリカ医師会雑誌(JAMA)がアスピリンの使用を推奨しました。
 (1918年10月5日)
 こうして、アスピリンが広く処方されるようになりました。
 そして、海軍と陸軍とで、処方され始めた日(海軍:9月26日/陸軍:10月5日)を境に、死亡者が急増したのです。
 (一般人の使用は、10月後半)
 主な死亡原因は、肺水腫や重症肺炎でした。

 アスピリンには、解熱や免疫を抑制する作用があります。
 そのため、細菌の増殖を抑えきれずに、免疫が暴走し症状を悪化させることになります。
 それを、ウイルスの強毒化によるものと、すり替えが行われているのです。

スペイン風邪はどこから来たのか

 では、スペイン風邪は、どこから来たのでしょう?
 その発端が、1917年10月~11月に、ロックフェラー医学研究所の主導で行われた臨床実験にあります。(詳細は、ワクチンの真実 秀和システム刊)
 当時、米国カンザス州フォートライリーで、軍の志願兵4,792名を対象に髄膜炎菌ワクチンの人体実験が行われました。
 このワクチンは、髄膜炎にかかった人の体液から採取した細菌を加熱して不活化したものです。

 1人に8日~10日間空けて、3回接種するというものでした。
 2回目の接種者数は4,257名、3回目の接種者数は3,702名でした。
 1回目の接種から1,090名が脱落しています。
 ワクチン接種後に、咳や下痢、発熱、頭痛などの症状が出ていたとされています。

 実は、これだけではなく、1918年2月4日~4月15日に、ニューヨーク・ロングアイランドにあったキャンプアプトンでも、同様の人体実験が行われていました。
 この時は、志願兵12,519名を対象にワクチン接種が行われました。
 その結果、40日の間に、6,131名が入院したとされています。

 こうして、肺炎や髄膜炎にかかった兵士たちが、ヨーロッパ大陸の戦場へと駆り出されていくことになります。
 そして、戦場という劣悪な環境の中で、感染を拡大させることになりました。
 そこに、アスピリンが処方されたため、多くの犠牲を出すことになったのです。
 これが、スペイン風邪の真相です。
 この真相を隠すために、ロックフェラー医学研究所は、強毒なインフルエンザが流行したとマスメディアに喧伝したのでした。
 それによって、今では、スペイン風邪がインフルエンザ・パンデミックとされているのです。(現在では、H1N1型インフルエンザとされている)

 今では、スペイン風邪は、マスコミが恐怖をあおる道具となっています。
 歴史的事実として、スペイン風邪のようなパンデミックが起こり、多くの犠牲者を出していると...
 そして、ウイルス(細菌)は、いつ強毒化してもおかしくないと...
 それを防ぐためには、ワクチンを...というように。

 ウイルスや細菌がパンデミックを起こすのではありません。
 パンデミックは、人為的に作られていくものです。
 今回のコロナ騒動は、それを浮き彫りにしました。
 これからも、フェイクパンデミックは繰り返されていくでしょう。
 マスメディアのデマに踊らされないようにしなければなりません。