問題に対するアプローチ

「対症療法」と「根本療法」

 問題に対するアプローチには、対症療法と根本療法とがあります。
 今の社会では、これらが明確に分けられていません。
 対症療法は、直接論理で単純明快です。(大衆に支持されやすい)
 事象を表面的に理解すれば事足ります。(主観的対応につながる)
 根本療法では、事象をまるごと把握(弁証法的に認識)できなければなりません。
 そのため、なかなか、社会に根本療法を指向するという風潮が芽生えてきません。
 それでは、いつまでたっても、対症療法の悪循環から抜け出せません。

 対症療法では、文字通り、症状(現象面・欠点・患部)を対象にします。
 悪いところを探し出して、それを排除することで問題解決をはかります。
 これは、原因ではなく結果に対する対応です。
 そのため、即効性はありますが、一時しのぎにしかなりません。
 したがって、解決できたかに見えても、新たな課題(副作用)が生じてきます。

 根本療法では、文字通り、根本的な問題解決を目指します。
 問題の本質に迫って、根本原因を解消することが目標になります。
 そのため、全体的・総合的・多角度的・歴史的に把握できなければなりません。
 そして、実現には時間を要します。
 症状は、あくまでも、チェックポイントであって、処置の対象にはしません。
 原因の解消により、結果である症状は自然に消失していくことになります。

 たとえば、子供の成績アップを例に考えてみると...
 好きな科目をさらに伸ばすように導くのが根本療法といえます。
 それによって、苦手な科目の成績も上がっていきます。
 つまり、優点を伸ばすことが目標になります。
 それは、支配的要素である知的好奇心を養っていくためです。

 これが、対症療法では、表面化している欠点そのものが対象になります。
 したがって、苦手な科目を無理に勉強させることになります。
 それによって、目先の試験の点数を上げることはできます。
 でも、長期的に見ると、勉強嫌いになって知的好奇心も減退させてしまいます。

 このように、対症療法と根本療法では、目標も、対策の焦点も異なります。
 そのため、これらを明確に区別し、使い分けできなければなりません。
 それができないと、目先の問題を地道に解決していけば、いつか根本解決には行き着くという錯覚に陥ってしまうことになります。
 そして、対症療法の袋小路に入り込み、抜け出せなくなるわけです。