虫害の意味を考える

害虫が存在する意味

 なぜ、野菜は、害虫に食べられるのか?
 一般には、そこに害虫がいるから...と考えられているようです。
 でも、実際のところ害虫はどこにでもいます。
 地面にはヨトウ虫、地中にはコガネ虫の幼虫など、すぐ見つかります。
 チョウやカメムシやアブラムシなども、いくらでも飛んできます。
 そんな中でも、害虫の被害に遭う野菜、遭わない野菜があります。

 つまり、害虫というのは、食害の原因ではないということです。
 害虫は、あくまでも環境であり条件でしかありません。
 食べられる野菜には、食べられる理由(原因)があるのです。

 これは、私たち自身のことで考えてみればよくわかります。
 私たちの周りには、インフルエンザウイルスはウヨウヨいます。
 でも、インフルエンザにかかるのは一部の人です
 つまり、原因は、環境(外因)にではなく、主体(内因)にあるということです。
 では、食害に遭うのに、どんな理由があるのかです。
 ここでは、自然な食害と不自然な食害とに分けて考えることにします。

自然な食害

 畑にある野菜が生き生きしているのは、常に新陳代謝しているからです。
 つまり、葉っぱなど、古い組織が新しい組織に入れ替わっているわけです。
 その手助けをしてくれるのが、害虫ということになります。

 野菜にとって、お荷物になるのが老化した葉です。
 老化した葉は、光合成の能力も落ちて役に立ちません。
 それなのに、エネルギーや水を浪費してしまいます。
 野菜は、そういった葉をすみやかに処理し、若い葉を育てたいのです。

 でも、そのまま地面に落としたのでは、硬い繊維はなかなか分解されません。
 そこで、害虫の出番です。
 害虫のお腹の中には、硬い葉の繊維を分解してくれる腸内細菌がいます。
 それで、硬い葉も柔らかいフンにしてくれます。
 (虫の腸内には、窒素固定菌も住んでいて栄養価の高いフンが作られます)
 それが、養分となり、その地を肥やしていくわけです。

 こうした食害は、自然な食害です。
 健全に育っていることになりますので、何の心配もいりません。

 上は、「ときわ地這胡瓜」です。
 矢印は、害虫に食べられた跡です。
 でも、食べられている葉は、下側(外側)の老化した葉です。
 上側(内側)の新芽や若い葉は何ともありません。
 若い葉は、光合成する能力が活発です。
 その若い葉を食べると、自分(害虫)たちの食糧が消滅してしまうことになります。
 そもそも、それでは、今のような多様な世界にはなりません。
 自然は、そんなに愚かに(無秩序に)できていないわけです。

不自然な食害

 では、不自然な食害とは...
 それは、環境を乱したことによって起こる食害です。
 その代表が、過剰施肥によるものです。

 肥料というのは、土壌の生き物からすると不自然です。
 土壌には、絶妙なバランスのもとに、多くの生き物たちが生活しています。
 そこに、大量の肥料が撒かれると、土壌の生き物たちは大混乱です。
 すみやかに、元の状態に戻さなければなりません。

 そこで、野菜は、吸収した肥料分を葉っぱに貯えます。
 (意図的に、ということではなく物理的な仕組みによって)
 つまり、軟弱徒長します。
 そして、その葉っぱを害虫に食べてもらいます。
 移動できる害虫たちに、肥料分を運び出してもらうためです。
 肥料分を食べた害虫たちは、どこかで亡骸となります。
 そして、その地を肥やすことになります。
 このように、自然は、常に全体の均衡が保たれるようになっているわけです。

 でも、さらにひどい状況だと、野菜は生きていけません。
 免疫力も無くなり、カビ菌も感染し、土に還されることになります。
 これは、野菜自身がその土地に適さないという場合も同様です。

 自然というのは、厳密な秩序(法則)のもとに成り立っています。
 その秩序に反するものは、そこに在り続けることはできません。
 自然の力が消滅の方向に作用することになります。
 そのため、そういう野菜は、早晩、解体され土に還されます。
 害虫たちは、その役割(運搬や解体など)を担っているのです。
 自然も、スクラップ&ビルドによる新陳代謝を繰り広げているわけです。

 でも、人が、こうしたことを目にすると...(形式論理で見ると)
 害虫が野菜を枯らしているように見えます。
 どうしても、現象面にとらわれてしまうわけです。
 そして、悪のレッテルを貼って抹消するという方向に走ってしまいます。
 それでは、対症療法(原因ではなく結果に対する対応)にしかなりません。
 したがって、問題を、ますます複雑化させることになるわけです。

適地適作で

 では、野菜を無農薬で育てるには、どうすれば良いのかですが...
 それは、適地適作しかありません。
 その土地に合った野菜を適期に適切に育てるしかないということです。
 つまり、ごく当たり前のこと(普遍性)を追求するしかありません。
 そのための基準になるのが、自然法則であり植物生理です。
 それを、形式的なマニュアルを基準にすると、自然から離れていくことになります。

 健全に育った野菜は、不自然な食害に遭ったり病気になったりしません。
 健全な葉は、細胞の配列も緻密で揃っています。
 また、それを保護するロウ質の皮膜もしっかりしています。
 したがって、害虫は、健全な葉を食べることはありません。
 害虫に食べて欲しい葉(肥料過多の葉、老化葉、日陰の葉など)は、これとは逆です。
 このように、野菜と害虫は、お互いコミュニケーションをはかっているのです。
 あらゆる存在は、こうした秩序のもとに、進化を遂げてきたわけです。

 ここでは、そのことを自然法則と表現しています。
 もし、無秩序なものが生まれると、調和が崩れ、全てが消滅してしまいます。
 したがって、自然は、秩序そのものといえます。
 もし、無秩序が生まれてくるとしたら、私たちの観念の世界から...
 ということになります。