コンセプト

文明の崩壊を軟着陸させるには

 今までの教育では、経済を支える人材を育成することが主目的でした。
 経済発展を目指すことこそが幸福に直結すると思われていたからです。
 でも、社会は大きく変わりました。
 今の社会は、持続すら危ぶまれる状況に陥っています。
 私たちは、高度な文明を築いていると思っていました。
 でも、肝心の基盤は脆弱な「砂上の楼閣」だったわけです。

 では、なぜ、これほどまでに社会基盤が脆弱なのかです。
 それは、今の文明は、対立(差異)の抹消によって発展することができるという哲学を基礎に築かれてきたからです。
 つまり、人類は、事物は対立(差異)の止揚によって発展するという弁証法的法則(自然の法則)に反逆してきたわけです。
 そこから、形式論理的(直接論理的)な科学を生み出し、産業を発展させてきました。
 そして、都合の悪いものは抹消し、欠点を修正することに血まなこになってきました。
 結果や症状を原因と錯覚して、対症療法に突き進んできました。
 そこから、(新)植民地主義や搾取社会、格差社会が生み出されてきました。
 今、それらによって生じた矛盾(副作用)が複雑に絡み合い、収拾が付かない状態に陥っているのです。
 対立(差異)の抹消(闘争)は、創造の道を絶つ行為に他なりません。
 すなわち、創造を指向する弁証法的法則に対する反逆ですから、対立の抹消によって築き上げたものは持続できないわけです。

 子どもたちは、近い将来、そんな社会に放り出されていきます。
 そして、自らの手で、持続に向けて舵を切っていかなければなりません。
 時間的余裕もありません。
 この社会は「砂上の楼閣」であって、何かコトが起こると一挙に崩壊してしまうのですから...

 そんな中で、子どもたちを、いかに導いていけば良いのかです
 それは、「能力」の向上を図れば対応できるというような問題ではありません。
 「能力」のもとになる「脳力」の次元でのアプローチが必要になります。
 いうなれば、形式論理(錯覚)からの脱却であって、脳回路の癖直しを目標にする必要があるわけです。

 ここでは、こうした問題を、食の問題を通して考えていきたいと思います。
 社会のあらゆる問題は、その根っこはつながっています。
 したがって、食の問題を掘り下げていけば全てが見えてきます。
 そして、「脳力開発」の観点から農園を覗いてみたいと思います。
 農園というのは、リアルな(自然の法則が支配する)世界です。
 教科書(形式論理)通りにはいきません。
 つまり、農園を把握するには弁証法的な視点が必要になってくるわけです。
 たまには、そんな世界に触れて、脳細胞を解きほぐし...
 そして、教科の枠を取り払って、思考の幅を広げていこうということです。
 それによって、事実に沿ったモノのとらえ方を養うことができるのです。